あの番組この番組 その3
この"スタ誕"が生まれた直接の動機は、日本一のオーディション番組を作ろうと考えていた池田文雄プロデューサーと作詞家の阿久悠が、ジュディ・ガーランド主演のアメリカ映画「スター誕生」をみて、すっかり気に入ってしまい、迷うことなくこのタイトルに決めたことに始まる。
2人は早速、企画書を書き、池田氏はそのナマ原稿を持って広告代理店や知り合いを訪ね歩いた。
それは46年春であり、秋の新番組として、なんとか放送にこぎつけた。
コント55号が2人で仕事をしなくなり、1人になった萩本欽一に司会をたのんだのです。
欽ちゃんは「ボク、司会はできないの!」と断ったが「素人さんに温かさを与えるのは、あなたしかおりません」と口説き落としたそうです。